「当たる」占いって何だろう?占いって当たるの?
皆さんこんにちは!
占い師の明蘭です!
今回は「当たる」占いについて自分なりに語っていこうかなと思います。どうぞ最後までご覧いただけたら嬉しいです。
さて、占いをするからには「当たる」占い師がいい。
きっと皆さんそう思うと思います。
Googleでも「占い」と検索すると「当たる」というワードが次に出てくるものですから、占いは「当てるもの」とそんなふうに思われている方が多いのかもしれません。初対面でも「占いって当たるの?」とごく真面目に聞いてこられる方もいらっしゃいますので、やはり「当たる」占いに皆さん関心を持たれているのだと思います。
しかし、私はそれが占いの真髄だと思っていません。当てることが占いの目的ではないからです。結果的に「当たる」のが占いです。「当たる」までの過程が大事であり、占いの真髄はそこにあると思っています。
占いが「当たる」までの過程というのは、自らが良い未来を創造して形にすることだと思います。
「こんな自分になれたらいいな」という限定された未来を自分で思い描いて、実際にどの時期にどんな行動をとったら良いかを考えることが占いを使う真の目的だと思うのです。
それではここから先のお話は、占いが「当てるもの」という目的ではないことを前提に聞いていただけたらと思います。
私の感覚的に占いが「当たる」という事象は、自分が望む未来に期待をしていたことがタロットや星に出たときや、過去にあった出来事を占い師が言い当てることだと思うのですが、実際に占いで当てにいこうとすると上手くいきません。それは自分の主観が入ってくるからだと思います。
私はホロスコープ上に出ている星の配置や、タロットカードを並べたときのカードの組み合わせやその意味の解釈を持ってして占いの結果をお伝えしています。当たり前のようですが、占いの技術があって「当たる」のだと思います。
「当たる」占い師は占いの基礎的な勉強ができてるかどうかで決まってくると思います。
これは私の考えですが、私はそう思います。
「占いって勉強してできるものなの?」って聞かれることもありますが、占いは勉強なしに語ることなどできません。この占いコラムを読んでいる人は私の活動をいつも間近で見ている人だと思うので、よくご存知だと思います。
「占いは直感や霊視だけでできる」と思われることも多いし、私自身、占い師をやっていると言うと「何か見えるんですか?」とか「私のこと見透かされそうで怖い」ってそんなことを言われることも多いのですが、実際にはそんなことありません。
古来、占い師は今でいう国家公務員の地位の人にしかできないお仕事でした。
天文観測や天変地異の予測をして暦を作り、物事の吉凶を判断し、時刻を管理していました。
国にとっては欠かせない存在であり、日本を影で支えていたのです。つまり、選ばれた人にしかできない職業だったのですが、その人たちも勉強をし続けてその役職に就いたのです。
私はそんな先人の知恵を継承し、占いという伝統を今を生きる占い師として皆さんに伝えています。そのため、今も昔も「当たる」占い師というのは勉強できる力があるかどうかだと思うのです。
私の師匠は「ある程度、勉強をして一定のレベルを超えると当たってくる」とそう言っていました。勉強を重ねた先の叡智に物ごとの真理を捉えることができるのでしょう。
しかし、占いは一筋縄に勉強して理解できるものでもありません。それでも自分や誰かの幸せを願って占いの勉強をし続けたら、点と点が繋がるみたいにひらめきが生まれるのです。それが結果的に「当たる」ということになるのだと思います。
黙って座ればピタリと当たる
皆さん、この言葉はご存じでしょうか。
その昔、易者さんがご自身のキャッチフレーズで使用していた言葉です。ご相談者さんが特に悩みを伝えなくても、占い師側がピタリと言い当ててしまうくらい占いに関しての技術が長けているということなのだと思います。
しかし、人の未来を断言することはその人の人生をも変えてしまうことだと私は思っています。
いくらその占いが「当たる」ものだったとしても、実際に当たったり、占いで言い当てることはご相談者さんにかかる人生に何かしらの影響を与えることになると思っています。そのくらい「当たる」ということについては占い師やご相談者さん自身も慎重にならないといけないのかなあと思います。
〜余談〜
占いが「当たる」ことについて、私の尊敬する先生方のお考えをご紹介させていただきたいと思います。以下が著書の引用です。
“理屈で考えれば占いなど当たるはずがありません。しかし、それ以上に「当たる」ということは人の胸を、心を「打つ」という意味だ。占いが当たったとき、あるいは「当たる」と感じられたとき、人は自分の出来事に何か意味があったと感じることができる。期待や希望や祈りが大切なことであると思えてくる。そしてそれが宇宙とのつながりの感覚を与えてくれるのだ。”
(鏡リュウジ先生「占いはなぜ当たるのですか」から引用)
” 「占い」は、古代人にとって「儀式」に相当するものでした。もっと言えば、その「儀式」を司るのに最も効果的な日時を決定しようとしたのが「占い」の起源だとされています。
今日通説的な「占い」とは、「当てもの」です。あるいは、主体性を失った人間が、発生する事象に関して他動的な要素を過大視した時に、その根拠を求めてくるものです。”
“私は、タロットカードに合理性を求めます。
「占い師」としての仕事が入る以上、求められれば、「当てろ」と言われれば当てることに専念しますが、タロットカードは何かを当てるためだけのものではありません。”
(井上教子先生「タロット解釈実践辞典 大宇宙の神秘と小宇宙の密儀」から引用)
占いの「当たる」という概念については色々な考え方がありますね。占いは「当てるもの」という一種のイメージにとらわれることなく、幸せを掴みにいくために活用するものなのだとそう思ってもらえたら私は本望です。
占い師の明蘭🔮